第三話 分岐点




 十歳になり、リアナは義父母の農作業を手伝うようになっていた。

 朝起きて一番に卵が採れているかを確認し、新鮮な乳を搾り、竈に火を焚く。
義母のフィアが朝食の支度をする間に水を汲みに行き、朝食を食べ終えたら畑仕事へ。
腰を痛めた義父ヨーテの代わりに鍬を握り、耕していく。

 当初はリアナのような少女が鍬を扱うことに義父も反対していたが、軽々と操っているのを見て諦めた。村人達も当初は驚いていたが、今では遠くから大声で挨拶をするだけだ。

 毎日鍬を握っているのに肉刺一つ無い白い手の平。見てくれは人と同じでも、驚異的な再生能力は明らかに人を越えている。

 昔はその能力を破壊のために使っていた。まさか自分の力が何かを作ることに役立つなど思わなかったのだ。

 全てを破壊していた昔の自分が愚かだったと今なら言える。

「……アナー。リアナー!」
「お母さん?どうかしたの?」

 息を切らせたフィアにぽんと肩を叩かれたリアナは、条件反射で素早く距離を取る。産まれ直したと言っても、長年の戦場生活が染みついているためだ。

 単なるスキンシップだと身体が未熟だった頃から判ってはいるのだが、早々忘れられるものでもない。誤魔化すように、落ち着いて、と背中をさすりながら、リアナ は不安を隠して呼吸が整うのを待った。

「領主様からの使者が来たんだよ。すぐに来ておくれ」
「領主様が?どうして……」
「判らないけど、安心おし。お前は家の子だよ」

 曖昧に頷き、ひとまず手を止めたリアナは、目を丸くするフィアを背負いながら風の速さで駆け抜ける。家に帰ればヨーテが厳しい顔をして待っていた。

 こんな義父の顔を見たいわけではないのに。義父がこんな顔をするのは大抵決まっている時だけだ。半ば確信しながら、ヨーテの後を付いていく。

 お茶を飲んでいた男はリアナを見て驚愕し、すぐさま隠すように笑顔を浮かべた。

「貴方がリアナ・ミュリエル嬢ですか?」
「は、はい。お初にお目にかかります」

 スカートを摘んで右手を胸に置き、膝を折る。一度だけ村長の奥さんがしていた動作を真似してみた。

 まさか田舎娘がきちんとした礼を返すとは思わなかったのか、男はまたも驚いていた。男に促され、対面するように席に着く。

 男はリューグ・スフェンネルと名乗った。

「先程貴方の義父上にも伝えましたが、実はリアナ嬢を我がスフェンネル公爵家に養子として迎えたいのです」
「公爵家……リューグ様も公爵家の方なのですか?」
「ええ。末端ではありますが、名を連ねております」

 貴族であるとしかリアナには判らない。やっぱりと思いつつ、これまで打診してきた人達は、はっきりとリアナに邪な目を向けていた。しかし、彼からはそれが感じ取れず、困惑する。顔に出ていたのかリューグはくすりと笑った。

「失礼。先に理由を述べるべきでしたね。貴方は複数の人間から狙われているとでもいいましょうか。ああ、いえ。これは脅しではありません。片田舎に住んでいる美しい少女。誰もが欲しがるのは容易なことでしょう?」
「……」
「見て見ぬふりをするのもまた選択の内でしょう。ですが貴方はご自分の両親を危険な目に遭わせるつもりですか?貴方の美しさは誰もが手に入れたいと望む。そのためなら手段を選ばない者もいるでしょう。例えばバーロック氏とかね」

 途端に義父母の顔色が蒼白に変わった。握られた手から振動が伝わってくる。

「貴方は……。貴方も私を手に入れたいと思いますか?」
「は?あはははは。いえ、ご心配なく。私も父も貴方をどうこうしようとは考えておりませんよ。ですが、貴方に興味はありますね」

 眼鏡を外して涙を拭くリューグ。余程ツボに嵌ったらしい。リアナはリューグに好感が持てた。

 しかし、フィアとヨーテは違うらしく、暫く考えさせて欲しいと何とか絞り出した。リューグはお見通しだったのだろう。また十日後に来るとだけ伝えてあっさりと暇を告げる。


 リアナは馬車に乗ったリューグの後に続いて飛び乗った。両親が驚くのも気にせずリューグが馬車を走らせる。

「おや?このまま来てくださるんですか?」
「私がこうすることもお見通しでしょう?本当のことを教えてください」

 まいったなと初めてリューグが笑顔以外の顔を見せる。リューグは座席に凭れさせかけると、御者に村を一周するように伝えた。

「先程といい、どうやら貴方はただのお嬢さんではないらしい」
「当然のことです。農民の小娘一人が狙われているから養子縁組をしたいだなんて、貴族がするわけ無いでしょう」
「その通りですよ。我々は何よりも体面を気にする人種ですから。偽善でするほどお人好しではありません」

 リューグはあっさりと肯定する。それが当たり前だと。清々しいほどに傲慢で、だからこそ信じられた。嘘で塗り固められた綺麗事を口にするようなら、即座に断るところだ。

「リアナ嬢。この国の皇族は皆貴方と同じ瞳の色を持っていることはご存じですか?」

 知らない。皇族などに興味はない。素直に首を横に振るリアナに、でしょうねと馬鹿にするでもなくリューグはあっさり頷いた。

「これはこの国の建国神話に由来するのですが、とにかく一般市民が持つことはあり得ない、とだけ今は憶えておいてください。まして、混じりけのない色は直 系にしか受け継がれないはずなのです。皇族の後宮はきちんと管理されているし、貴方がどなたかの御落胤だとも考えられない。そして、ご両親が貴方を見つけ られた際、貴方は寸前までへその緒が繋がっているような状態だったとか。周囲に母親の姿すらないとは随分奇妙な話ですよね」

 真実を知っているリアナは頷くこともせず黙っていた。この髪は父親たる神から、瞳は母親たる魔王から受け継がれたとは言えない。

「貴方の存在は皇家の神格性を揺るがしかねないんですよ。ですから、もし申し出を断るようでしたら、私は王の臣下として貴方を殺さなければならない」

 つまり生きるためには話を受けるしかないと言うことか。または殺される前に逃げ出すか。その場合両親の安全も確保しなければならないし、逃亡生活を余儀なくさせる。結局元の世界と変わらない生活を強いられるのだ。

 まぁ、この国丸ごと滅亡させるのもやぶかさではないが、別世界にいる両親と自分を受け入れてくれたこの世界の神に申し訳が立たない。

 これまでも、リアナの美しさを眼にした者が手に入れようと何度も打診してきた。直接両親に頼み込む者もいれば、非合法、つまり攫うようにして欲する者もいる。その度に、村人一丸になって追い出してくれた。

 ここにいてもいいのだと、厄介者だと爪弾きにする人間は一人もいなかった。リアナはその優しさにずっと甘えていた。彼等の立場が悪くなるのを知っていたのに。
 

 リアナは溜め息をついた。ここまで質の悪い相手はいなかっただけで、近い未来こうなることは予想できていた。

 それが今だっただけだ。

「もし私が申し出を受ければ、自由に生きてもいいんでしょうか?」
「それは貴方次第かと。最低限のマナーは身につけて貰いますし、公爵家に入った以上は公爵家の名が付いてくることは忘れずに」

 つまり貴族として一生を縛られると。その中で動くのならば構わないらしい。

「私を恨みますか?」
「ええ。でも、正直に話をしてくれたことに感謝してます。それに貴方のことは嫌いじゃありません」

 丁度馬車が止まった。ドアを開ければ自宅前。フィアとヨーテが待っていた。

「光栄ですね。……では、良いお返事を期待していますよ」

 去り際にリューグが頬に唇を落としていく。無謀なことをしたリアナをフィアとヨーテが抱きしめる。馬車は静かに行ってしまった。

「あんたって子はなんて無茶をするんだい!」
「母さんの言う通りだぞ!あんまり寿命を縮めさせんでくれ」

 小柄な体でリアナも精一杯抱きしめ返した。

 この人達に迷惑をかけたくない。

 リアナの中で既に決心はついていた。





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