旅立ち




 鏡に映った姿はどこをどう見ても可愛らしい少年にしか見えなかった。

「凄いわ、みんな!ありがとう」

 親指を立てたままリアナの笑顔を正面から見た侍女が鼻血を流して倒れているが気にしない。幸せそうだし放っておいても問題ないだろう。

「お嬢様駄目ですわ。今はリトル様なんですから」
「あら。でしたらお嬢様ではなくお坊ちゃまですわね」

 焦げ茶色の髪に黒に近い紫色の瞳をした少年がにこりと微笑む。鏡越しに直視してしまった哀れな侍女がまた一人散った。扉をノックする音が響いてリューグが顔を出す。

「用意は出来たかい?リアナ。……ふむ」

 頭の先から爪先まで往復させたリューグは顎に手を当てた。

「いけない道に走ってしまいそうな可愛さだね。よく似合ってるよリアナ」

 物騒な言葉と共にリアナを抱き上げる。ぐりぐりと頬擦りしながら可愛いを連発するリューグ。
 くすぐったいですと言葉では言いながら抵抗する様子はないリアナとリューグの姿に、ほぅと生き残った侍女達は感嘆の息を漏らす。

 何と絵になるお二人だろう。美男美女ならぬ美男美少年ではあるが、違和感がないのだ。改めてお嬢様の侍女でよかったと思う三人だった。

「兄上!一体いつまで…」

 乱暴に扉を開け放ったジュードはかぱっと口を開けたまま硬直した。実に見目麗しい青年と少年が戯れる図。いや、片方は実の兄でもう片方は義妹の筈である。間違ってない、よな?

「ジュード、扉を開ける時はきちんとノックをして静かに開きなさい。扉が壊れてしまうだろう」
「すみません、兄上」
「ああ、もう時間だな。いいかいリアナ。武器はジュードに用意して貰ったから、手加減して負けるんだよ」
「はいお義兄様。ではなく、リューグ様?」
「いや、兄上でいいだろう」
「ですが遠縁の息子なので、立場上兄上は拙いかと。騎士見習いですし、リューグ様もしくは若君になるか?シャックス」
「僕の弟分ですから様でしょうか」
「判ったわ…判りました、シャックス先輩?」

 慣れとは恐ろしい。リアナは口の中で何度か反駁してから練習場に向かった。

「お待たせしました殿下。リトルを連れて参りました」

 リアナは騎士の作法に則って、膝を床について頭を垂れる。許しがない限り顔を上げてもいけないのだ。

「ああ、堅苦しい挨拶は無しにして始めるぞ。いつも通りにすればいい、リトル」

 ジュードから受け取ったリアナはその場で二、三回振り回した。しっくりこないが、まぁ大丈夫だろう。

 急所を狙いそうになる度に動きを止めるリアナを不審に思いつつヴァリアスは小剣をはじき飛ばした。あっさりと手の平からこぼれ落ち、参りましたと頭を垂れたところへヴァリアスが首元に切っ先を突きつける。

 慌てたのは外野だ。止めようとしたジュードとシャックスにリアナが目配せする。

「お前どういうつもりだ?態と手を抜かれるのは不愉快だ」

 答えなければ許さないと冷えた眼差しが告げていた。恐れながらとリアナは目線を上げる。

「私はいつも通りに致しました。嘘では御座いません」
「ではいつも手を抜いていると?竜騎士を馬鹿にしているのか!」
「いいえ。ですが本気を出せば殿下を傷つけることになります。万一にでも殿下に傷を付ければ、一族が憂き目にあうのは必至。それでも構わないと申しますか?」
「俺は十分に自分の立場を理解しているつもりだ。例え我が身に傷が付こうとお前自身にも処罰がつかぬと宣言しよう。いいな、ジュード?」
「……畏まりました、殿下。リトル。本気でやれ」

 リトルは頷き、小剣を拾わずに立った。口を開きかけたヴァリアスを先回りして言う。

「今度は本気でございます。徒手空拳ではありますが、極力被害を避けるためと告げておきます。殿下こそ本気でお相手してください。魔術も使ってくださって結構」
「はっ!上等だ」

 研ぎ澄まされた殺気がリアナの体から発せられる。それだけで膝が笑いそうになるのを叱咤してヴァリアスは唇を湿らせた。

 魔術による身体強化によって十倍の速さでリアナに迫る。そのまま振り下ろしたところで、いきなりリアナの姿が消えた。

 抜かれたと思った時には手刀が首筋に添えられている。剣は天井に刺さっていた。

「そこまで!」

 ジュードの声でリアナは距離を取って一礼する。ヴァリアスは戦慄し、耐えきれずに膝を折った。力の差は歴然だった。

「あははは!面白い!リトル、お前魔術は使えるか?」
「はい?まぁ、一応は」
「ジュード!俺はリトルが気に入った。こいつを俺にくれ」
「殿下!それは…」
「リトル。お前さえよければ俺の学友兼護衛になれ!身元もはっきりしていれば問題ないだろう」

 手を差し出されリアナは混乱の極みであった。ここで手を取らなくても、外堀を埋められていつの間にかヴァリアスの傍にいたなんてことも本気でやりそうだ。しかしリアナは公爵令嬢で間違っても男ではない。

「考えさせてもらえますか?ち…公爵様に伺ってみなければお答えできません」
「明日、出立するまでに決めておけ。よい返事を期待している」

 楽しそうに笑いながらヴァリアスは練習場をあとにした。


 話を聞いた公爵はうっかりカップを割ってしまった。しかしそれを気にするよりも怒りに支配されていた。

「駄目だ!絶対に許さん。誰が嬉しくて愛娘を騎士にする親がいる!私の方から殿下に断りを入れよう」
「父上の言う言葉も尤もですが、竜騎士として言わせて頂ければリアナを預けてはもらえないでしょうか?あの通り殿下は強さも相まって護衛を置くことを嫌うのです。それが今回殿下自らがハンティングしたのですから…」
「確かに殿下の護衛嫌いは有名だ。しかしリアナは女。いつまでも続けられるものではないだろう」
「お義父さま、リューグお義兄さま。リアナは行きとうございます」
「「リアナ!!」」

 ばんと机を叩いて公爵と嫡子がリアナに詰め寄る。落ち着いてくださいとリアナは淹れ直したカップを押しつけた。渋々受け取る二人。

「竜騎士になればリュシーやグレンとずっと一緒にいられるでしょう?」

 家族はドラゴン以下なのかと二人ならず三人はショックを受けた。悪気はない分余計質が悪い。

「公爵家の一員として、最低限の責務は果たします。それを妨げなければ構いませんでしょう?」

 むしろその条件が呑めなければ、ヴァリアスに仕えることはしない。これがリアナの一線だった。

「…ジュードが最低限リアナの面倒を見ること。それから公爵家が後見となること。半年に一度は顔を見せること。三日に一度はリューグと夕飯を取ること。月 に一回は手紙を送ること。屋敷は王都別邸を使うこと。手入れを怠らないこと。シーズンには公爵令嬢として出席すること…」

 ずらずらと百個ばかり並べられた条件に少し改訂を加えてリアナは了承した。

 覚悟を決めたら引かないことは経験済みなので、公爵一家は溜め息をついた。こうしてリアナの城仕えが決まったのだった。



 出立の朝。

 リアナはヴァリアスのドラゴン、ティークに同乗することになっていた。

 公爵家次男の見送りの名の下に、ベイルとリューグは思う存分別れを惜しんでいた。ゼイスもジュードもただ見守っている。リアナとの別れは身を切るような寂しさを憶えることをここ数日で理解していたからだ。

 あまりの過保護っぷりに理由を知らないヴァリアスだけが笑っている。

「お待たせしました殿下!…ティークよろしくね」

 空高く舞い上がるドラゴン。故郷を視界に納めながら、リアナは少しだけ涙を流した。





back/top/next

inserted by FC2 system